導入
近年、ChatGPTなどの大規模言語モデル(LLM)を大学の授業に取り入れる試みが国内外で進んでいます。AIを活用した学習方法には「学生の思考力が低下するのではないか」という懸念もありますが、一方で適切な設計のもとに導入すれば読解力や論理的思考力を高める可能性が示唆されています。本記事では日本国内の研究事例を踏まえ、LLM活用授業の効果や課題を探ります。
LLMを活用した大学授業が注目される背景
- 学習支援への期待
大規模言語モデルは、多量のテキストデータから文脈に応じた出力を生成するAIです。学習者の質問に応答したり、要約や翻訳を行ったりと、学習支援ツールとしての有用性が高く評価されています。 - 批判的思考力への懸念と可能性
一方で、AIが全てを自動生成してしまうことで「自ら考える力が養われないのではないか」という懸念も根強く存在します。しかし、利用者が出力を鵜呑みにせず検証・修正するプロセスを取り入れれば、批判的思考を促す学習デザインが可能との指摘もあり、各大学の実証研究が進められています。
事例1: ChatGPT利用実態調査(東北大学)
大規模調査で見えた学生の意識
東北大学の大森不二雄氏らが2023年に行った調査では、全国の大学学部生4,000人を対象にWebアンケートを実施し、ChatGPTの利用実態を探りました。結果として、
- 大多数の学生が「思考力や文章力向上に役立つ」と肯定的
- 生成AIの回答を「安易に鵜呑みにしていない」との認識が多い
といった点が明らかになっています。
今後の検証課題
ただし、この研究は主に学生の自己評価や意識調査をベースとしているため、学力テスト結果との紐付けや長期的な観察は未実施です。ChatGPTが本当に読解力や論理的思考力にプラスの影響を与えているのか、さらなる検証が期待されます。
事例2: 生成AIと読解指導(京都橘大学)
「登場人物との対話」による深い読解
京都橘大学の池田修教授は、国語教材『走れメロス』を題材にChatGPTに登場人物役を演じさせる形で授業を行いました。学生がAIキャラクターと対話するうちに、物語の筋や人物の動機を深く探究する流れを作り出したのが特徴です。
有意な向上を示した統計結果
この対話型授業では、導入前・中間・事後にわたってアンケートを行い、t検定と効果量(Cohen’s d)を用いて読解力や思考力の変化を分析しました。結果として以下のような有意な成果が報告されています。
- 具体的な質問を思いつく力の大幅向上
- 読解の深まりに関する自己評価の顕著な改善
効果量は一部でd=1.9を超えるなど極めて大きな値が得られたとのことで、生成AIとの対話学習が読解力・論理的思考力の伸長に寄与する可能性が示唆されました。
事例3: 英語教育と批判的思考(岐阜聖徳学園大学)
AI出力の検証を学習プロセスに取り込む
英語教育の分野では、岐阜聖徳学園大学の宮原淳氏がChatGPTを回答支援ツールとして用いる授業実践を報告しています。学生はまずAIの出力を取得した上で内容を吟味し、
- 事実確認
- 論理の妥当性の検証
- 必要に応じた修正や追記
といったステップを踏むように指導されました。こうしたプロセスを繰り返すことで、批判的思考力を養う狙いがあります。
現時点での成果と今後の課題
この実践では、英語テスト結果とChatGPT活用状況との明確な相関は見いだせず、「即時的な成績向上」までは立証されていません。しかし、AIの回答を検証する姿勢が学生に定着する可能性はあるとされ、今後はプレテスト・ポストテストなどを用いた検証が続く予定です。批判的思考を養う手段としてのLLMの活用が、今後どのような成果を示すか注目されています。
事例4: 専門教育への応用(広島大学)
医学倫理教育におけるLLMの役割
医学教育の分野でもLLMの活用が検討され、広島大学の澤井努教授らはBMC Medical Education誌(2025年)にて医療倫理教育へのChatGPT導入を提案しました。医療現場では複雑な価値観の調整やジレンマ解決が求められるため、擬似ケースを数多く検討する学習が重要です。
論理的思考力を高める可能性
ChatGPTのようなLLMは、豊富な論点を提示してくれるため、学生が複数の視点から状況を読み解き、自分なりの結論を組み立てるトレーニングがしやすくなると期待されています。ただし、現段階では理論的提案にとどまり、実証研究は今後の課題です。実際のカリキュラムへの組み込みと効果測定が行われれば、専門性の高い分野における論理的思考力育成の新たな道が開ける可能性があります。
LLM活用による学力向上の可能性と課題
これらの事例を総合すると、授業設計次第でChatGPTなどのLLMは学生の読解力・思考力を深める有望な手段となり得ることが示唆されます。一方で、以下のような課題も見逃せません。
- 学習評価方法の確立
- 学生の自己評価やアンケートに頼るだけでなく、プレテスト・ポストテストや質的分析を併用した厳密な検証が必要。
- AIへの依存と批判的吟味
- 生成AIを盲信してしまえば思考力が養われない可能性があるため、出力を精査・修正するプロセスを授業設計に組み込むことが重要。
- 専門性の高い領域への応用
- 医療や法学など、高度な判断が求められる分野では複数の視点を提供するAIが有効なサポートとなる可能性がある一方、誤った情報を提示するリスクの管理も課題となる。
まとめ
日本国内では、東北大学による大規模調査や京都橘大学の対話型読解授業など、LLMを活用した大学授業の可能性を示す事例が増えています。ChatGPTのような生成AIをただ「便利な答えを得るツール」として使うだけでなく、答えを批判的に検証し、自分の知識や思考を組み立て直す学習プロセスを取り入れることで、深い読解力や論理的思考力が伸びる可能性が示唆されます。今後は、プレテスト・ポストテストなどを取り入れたより厳密なデータに基づく検証が求められ、長期的には専門教育を含めたあらゆる分野での活用が見込まれるでしょう。
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